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制度分析

更新: 2023年03月03日 09:04

比較歴史制度分析 上 (ちくま学芸文庫)

問題意識

社会の発展や相違を考えるのに利用できる技術・資源や地理的条件の相違だけを考えるのでは不十分である.法律やその執行方法,所有権の分配とその保障の度合など,制度の影響を考えねばならない.

というのも,制度の違いは,労働,投資,技術革新などに関する意思決定に大きな影響を及ぼし,その結果,制度の違いが経済的な成果に影響を与えるからだ.例えば,より強く保証された所有権,より徹底した法による支配が,より大きな経済的成果と結びついていることが実証されている.

しかし,所有権の保障が経済成長に結びつくと主張するだけでは,所有権が保証されない過去の制度から,いかにして保証される制度に変化したのか,それを可能にした要因は何なのか,また,物理的には所有権を侵害できる立場にある人が,なぜ実際にはそうしないかを説明できない.

我々が考えたい問いは,社会がなぜさまざまな制度発展の経路をたどるのか,制度がなぜ持続するのか,いつ制度は消滅しはじめるのか,なぜ社会は,より経済的に成功した他の社会の制度をうまく取り入れることができない場合があるのか,過去に効力を失った制度がいかにしてその後の制度に影響を与えるのか,というようなものである.

制度は社会の繁栄にもっとも重要である.なぜなら,適切な制度がなければ,社会にとって何が有益なのか必ずしも認識していない個人は,それを追求する動機をもたないからである.もし,社会で発生するさまざまな問題の要因を制度に帰することができるなら,その制度をどう改変すればいいか,改変の可能性は過去の制度によってどう制限されているのかを知ることの意義は大きい.

従来は,制度を政治組織が経済主体に課したルールとして解釈していた.しかしそのようなルールは単なる指図にすぎないので,守られるとは限らない.それが有効に働く実質的なルールになるためには,人々がそれに従うように合理的にでも,規範的にでも,動機づけられる必要がある.例えば法的には100km/h以下と制限されている高速道路でも,120km/h以下が実質的なルールとなっているところがあるだろうつまり,国家が存在する場合であっても究極的には制度は自律的秩序として分析する必要がある.

以上から制度を捉える複数のアプローチを統合し,構成員の内生的な動機を分析の中心におきながら,制度の歴史・存続・変化を分析する枠組みを構築したい.

制度とは

こうした問題意識をもとに制度は次のように定義される

  1. 制度は行動の規則性を生成する
  2. 制度は人為的に作り出された非物質的なものであり各人にとっては外生的である社会的な諸要素が形作るシステムである
  3. 制度は自己実現的であり,ゲーム理論により分析する

最初の点は制度が何をするか,2点目は制度が何であるか,3点目は制度をどう分析するかである.

制度は行動の規則性を生成する

行動の規則性とは特定の社会的地位を占める個々人が,与えられた社会的状況において行うことが期待される行動のことである.

それは「商取引においては法的な契約を結ぶ」というような一般的な規則性であることもあれば「ある条件を満たした際には特に特定の契約形態を利用する」 というようなもっと個別的な規則性であることもある.

制度は物理的にも技術的にも複数の行動をとりうる状況において,実際に取られる行動に大きな制限をもたらす.制度の影響の仕方は,個人の特徴よりも,買い手・売り手,親・子,雇用者・従業員のような社会的な地位によって決まる.つまり,個人的な差異によらず,同じ社会的地位の人が同じ社会的状況で同じ行動をとることが繰り返し観察できることが行動の規則性である.よって,制度分析が対象とする状況では,個人特有のばらつきは,平均的な行動からの誤差と見なせる.

制度は人為的に作り出された非物質的なものであり各人にとっては外生的である

例えば,効果的な法制度を構成するのは牢獄そのものではなく,法を遵守する行動を生成するのに必要な関連法令,それを実施する組織,その施行に対する人々の予想である.つまり牢獄という物質的なものが存在するだけでは不十分で,それを効果的にするためには非物質的なものが必要なのだ.ここでいう非物質的とは,例えばサピエンス全史でいうところの共有された虚構(shared myth)

そして,制度には個々人が自らの目的を達成するために制度を形成するという側面と,個々の動作主体を超えて個々人を制限するという側面がある.前者は主体説と呼ばれ,利己的な目標を追求する主体が,自分自身を満足させる手段として制度をいかに進化させるのかを問う.後者は,構造説と呼ばれ,制度とは個々の主体を超越した外生的なものであり,制度が人々の利害や行動を形作るものだとする.

制度は人々の行動による人為の産物でもあるし,彼らの手を超えて行動に影響を及ぼす外生的なものにもなるため,どちらの見方も制度の重要な側面を捉えている.分析する状況と目的にあわせてどちらの面が強く出るかを考える必要がある.

制度は,認知モデル・行動についての予想・ルール・組織などからなるシステムである.

認知モデルとは,我々が経験する世界に関する予想であり,それによって行動と結果の関係を推論する.例えば,中世初期のヨーロッパ人は森はさまざまな神々が住んでいるという予想をもっていたために,もし開墾すれば神の報復に合うと考え,その結果開墾は進まなかった.

行動についての予想とは,その行動が実際に起こるか否かに関わらず,さまざまな状況のもとでの他者の行動に関する予想である.そして,その予想は自分が取る行動の選択に直接的な影響を及ぼす.例えば,皆が右側通行をすると考えるなら,自分も右側通行しようとするだろう.また,もし犯罪を起こせば,警察は自分を逮捕し,法制度が罰を与えるだろうと予想すれば,それが実際に実施されるまでもなく,犯罪を抑止するだろう.

ルールは規範的な行動を指示し,認知モデルの共有や行動の調整・情報をもたらす.

組織は,ルールを形成し流布すること,予想や規範を持続させること,実行可能な行動についての予想のあり方に影響を与えること,の3つの役割を持つ.

例えば,道路に関するルールは標識(赤信号,一時停止)や,さまざまな概念や状況の定義(追い越し,徐行)の理解の共有をもたらす.また,右側通行をルールが指示することで,他者が実際に右側を通行するかを調べることなく,皆が右側通行するだろうという期待を形成でき,スムーズに右側通行が生成される.そして,運転免許試験場や司法当局は,このルールを生成・流布し,ルールを理解しないものに免許を与えなかったり,違反するものに処罰したりしなかったりすることで,予想・規範を持続させ,実際にどんな行動が可能かの予測に影響を与える.

よって,行動の規則性を理解するためには,これらの要素を検討しなければならない.

制度は自己実現的であり,ゲーム理論により分析する

自己実現的とは何かを豊川信用金庫事件を例に説明しよう. この事件の詳細はwikipediaにて.

この事件は「豊川信用金庫が倒産する」という何の根拠もなく,正しくもない言説実際,豊川信用金庫の経営状況は全く問題なかったを多くの人が信じた結果,取り付け騒ぎが発生して,ほんとうに倒産危機に陷ったという事件である.

つまり,「豊川信用金庫が倒産する」という言説によって「豊川信用金庫が倒産するのだろう」という認知システムを得る,もしくは他人が得ると考える.そうすると,もし倒産するならば先にお金を引き出さねば,と考える,もしくは他人がそう考えると予測する.もし自分が考えたならば,お金を引き出すだろうし,自分はそう思わなくても,取り付け騒ぎが起きるほど多くの人がそう考えると予測できたなら,本当に銀行が破綻してしまう恐れがあるので,先に取り出しておくのが吉となる.こうして,「豊川信用金庫が倒産する」を一定以上の人が信じれば,全員がとるべき行動は,自分の預金を引き出すことになり,実際に「豊川信用金庫が倒産する」は実現される.つまりこの事件はある言説を多くの人が信じることで実際に正しい言説となった,自己実現的な言説の例である.

制度についても同様で,例えば再び通行方向の例でいえば,右側通行,左側通行になるのかは,どちらもありえることで,理性のみによってどちらが実現される行動なのかを予測することはできない.しかし,ルールを流布や認知システムの共有によって,一度十分な数の人が右側通行が正しい,規範的だと考えれば,右側通行が実現されることになる.そして,一度右側通行が実現されれば,それを左側通行に変えるということは難しい.なぜなら,少しでも右側通行をしている人がいる(と信じる)場合には,左側通行をすることは事故につながる(と信じる)ことになり,実際に左側通行をすることはできないからだ.「信じる」と書くのは,実際に右側通行をする人がいなくても,そう信じさえすれば左側通行はできなくなるからだ. だから,実現された右側通行は安定していて,多少の人がそれを変えようとしても変えることはできない.ゲーム理論の言葉では,これは平衡という概念で説明される.

このように制度の諸要素(ルール,認知モデル,行動予想,組織)は,それ自身が自己実現的であることによって,自身を維持している.そして自己実現的であるための条件が失われたとき,別の平衡へ移動したり,別のゲームが始まることになり,制度が変化する.これらの分析にはゲーム理論を使うこととする.

感想

本書中ではこのような抽象的な概念・分析的な枠組みについての議論と,中世後期のヨーロッパ世界とイスラーム世界における実際の制度の詳細な比較分析が行われる.

後者の具体的な分析について時代地域の制限は大きいが,一般的な仮説を色々と提供する面白いものになっている.例えば第4章では,商人ギルドの分析から,所有権の保護の発生を私的財として検討する必要性を提唱する.一般的な議論においては所有権は公共財とされることが多い.つまり所有権は公的に全員に提供されるか,もしくは誰にも提供されないかである.そうではなく,所有権を政治的権力を持つものが見返りを求めて保護する私有財と捉えることで,権力分立や憲法の考えを超えて,保護が与えられるかを経済の個別性に則して予測したり,なぜ保護が与えられたのか,もしくは与えられないのかを説明することができる,と主張される.

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