
猫の大虐殺
本書の目的意識
この本は,過去の記録から,人々のものの考え方を追求する.つまりその当時の人々が自己の世界をどう解釈し,どう意味を与え,どう感情を注いだのかを知ろうとする.
哲学者であれ一般人であれ,人々にはある世界観があり,それに従って現実を秩序立てている.たしかに一般人が抽象命題を弄ぶことはないが,具体的な事物や,民話や儀式といった文化が提供するものを相手に彼らは思考している.
思考の方法や感情の分類の仕方は,自身の属する文化が提供する枠内に制限されている.しかし,彼らはその枠内にありながらも語義の境界線を様々にテストして入れ替え,概念を巧みに操作するのだ.この観点から,ディドロやルソーが抱えた問題は,民話の語り手である農民や猫の虐殺に興じる職人の問題と同列に扱われる.
こうして猫の大虐殺の目次は次のとおりとなる.
- 農民は民話をとおして告げ口する—マザー・グースの意味
- 労働者の叛乱—サン・セヴラン街の猫の大虐殺
- ブルジョアは自分の都市をどのように観察していたか
- 作家の身上書類を整理する一警部—フランス文壇の分析
- 知識の系統樹を刈り整える哲学者たち―『百科全書』の認識論的戦略
- 読者がルソーに応える—ロマンティックな多感性の形成
いずれの章においても,ある文化的制限の元での,もしくは制限を逆に利用した概念操作に焦点が当てられている.猫の大虐殺という表題の内容は第2章に割り当てられている.
とくにわかりやすい例として第5章『知識の系統樹を刈り整える哲学者たち ―『百科全書』の認識論的戦略―』を見ていこう.
『知識の系統樹』要旨
ディドロとダランベールは『百科全書』で何をしたのか?
知識の中心を哲学とすることで,知識概念を改定し,それによって,知識を聖職者から啓蒙主義者の手にうつすことである.
概念は恣意的である.その例として,ミシェル・フーコーが『言葉と物』で論じている古代中国の百科辞典による動物の分類を考えよう.
動物は次のごとく分けられる。
- (a)皇帝に属するもの
- (b)香の匂いを放つもの
- (c)飼いならされたもの
- (d)乳呑み豚
- (e)人魚
- (f)お話に出てくるもの
- (g)放し飼いの犬
- (h)この分類自体に含まれているもの
- (i)気違いのように騒ぐもの
- (j)算えきれぬもの
- (k)駱駝(らくだ)の毛のごく細の毛筆で描かれたもの
- (l)その他
- (m)いましがた壺をこわしたもの
- (n)とおくから蝿のように見えるもの。
これと同様に現在我々が自明のものと思っている分類分けも時代地域が異なれば異様に見えることがあり得る.しかし,このような恣意的にも関わらず我々は概念カテゴリーを自明のものとして普通疑わない.それは概念は思考するよりも前に我々に与えられたものであり,概念なしに考えることはできないからである.それゆえ概念とは,ある時代・地域に独特の,思考を方向づけるある種の枠のようなものだと言える.これをフーコーはエピステーメーと呼んだ.
<エピステメー>なる用語によってわれわれの解するのは、或る与えられた時代において、諸々の認識論的形象、科学、そしてときには形式化されたシステムを生み出すさまざまな言説=実践を統一する諸連関の総体である。
『百科全書』が出版される以前の時代,18世紀前半は知識は聖職者に属するものであった.しかしディドロやダランベールは,その秩序づけが恣意的であることを自覚していた.それは彼らがあたらしい秩序を世界に押し付けようとしていたからでもある.
具体的には彼らが百科全書をつくるモチベーションとなったチェインバーズの『百科全書』では知識の系統樹は次のようになる.
-
知識
- 人為的技術的知識
-
自然的理論的知識
- 感覚によるもの
-
理性によるもの
-
宗教
- 倫理学
- 神学
- 純粋数学
- 形而上学
- 自然学
-
宗教
しかしこれでは人間の技術・芸術と学問が人間の理性から生じるものであることが分からない.しかも,ディドロが軽視したい形而上学と宗教が,肩入れしたい数学・自然学と対等になっている.
そこで彼らは尊敬するベーコンにならうことにした.ベーコンの分類はおおまかには次の通り.
-
知識
-
神の啓示による学問
- 神の本性
- 道徳律,自然法
- 聖書の体系的解釈
-
人間の知力による学問
- 記憶(歴史)
- 想像力(詩)
-
理性(哲学)
- 神に関する哲学
- 自然神学
-
人間に関する哲学
- 占い,魅惑
-
自然に関する哲学
- 理論的知識
- 実践的知識
- 神に関する哲学
-
神の啓示による学問
そして最終的な彼らの分類は次の通り.
-
知識
- 悟性
- 記憶(歴史)
- 想像力(詩)
-
理性(哲学)
-
神についての学問
- 宗教(およびその誤用から生じる)迷信
- 啓示神学
- 自然神学
- 占い,妖術
- 宗教(およびその誤用から生じる)迷信
- 人間についての学問
-
自然についての学問
- 特殊物理学
- 数学
- 一般物理学
-
神についての学問
- 悟性
彼らの分類はベーコンの分類と似ている.実際彼らは自分たちの知識の系統樹はベーコンのものをなぞっただけだと言って,本当の意図を隠そうとした.
しかし,両者には決定的に違う点がある.それは神学の扱いである.ベーコンは神学のうち,彼が不十分だと考えた自然神学のみを哲学
この考えほどディドロとダランベールから隔たったものはない.彼らは啓示は疑いようもない事実なので,他の全てと同じように理性に従わせることができると考えた.
「したがって,(ベーコンのように)神学を哲学から分離することは,もともと幹についている若枝を幹からむしりとるようなものである」
彼らは啓示神学までも哲学に含めることで,自然現象の観察によってもたらされる感覚と思索からうまれる知識が知識のすべてであると宣言した.そして自然神学は宗教と等置されるが,啓示神学の周りには,迷信・占い・妖怪・善や悪の霊についての学問といった項目が置かれる.ものごとの位置づけだけでメッセージは伝えられている.
最後にダランベールは歴史的論証によってこの仕事を終える.すなわち,まず彼は歴史を文明の勝利,文明を文人の所産と定義する.そして,次にベーコンを起源とするデカルトやニュートンなどの思想家たちは,迫害され軽蔑されながらも,未来の世代の知性のために戦った,という偉人伝風の歴史展望を展開する.偉人には本物の戦争をした将軍たちがいることをダランベールは認めるが,彼の書きぶりは知性の歴史以外に歴史はないというほどである.そして啓蒙思想家こそ,文人の後継者なのである.
この「歴史は文明の勝利,文明は文人の所産,歴代の偉大な文人の後継者は啓蒙思想家」というロジックにより啓蒙思想家こそが正当な歴史の担い手となる.
『百科全書』においてディドロとダランベールは,まず知識の系統樹を整理することで経験的基礎をもたない知識,教会が説く教義を排除し,哲学を中心に置く.そして知識概念の創造者は過去にも未来にも啓蒙主義者であることを宣言するのだ.
感想
価値は素材ではなく表現形式に宿る
- 概念の操作・改変を意識的であれ,無意識的であれ一般人・知識人が同じように行っていたこと
- それこそが活動の中心,意義であること
を複数の具体例を通して主張することにある.
この意味で概念工学
どの章でも史料を丁寧に読み解くことで何がいえるのかを考えていくスタイルになっているので,ダーントンの解釈がテキストから妥当か否かを考えながら読むことができる.一般向けの歴史書は,もとの史料に何が書いてあったか詳しく精読することはないまま,解釈の結果が与えられ,注で出典が述べられるくらいだが,そういう既成のストーリーを聞かされることに飽きてきたらこの本を非常にオススメする.文章はとても読みやすいし,なんのために書かれたのか?というここでまとめた目的意識がはっきり理解できていれば,各章
岩波現代文庫版ではここで紹介したディドロの第5章と第3章が削除されているので,買うとしたら岩波書店版を買うのがいいと思う.特にディドロの第5章では紹介したように概念改変の具体的なプロセスが最もわかりやすく示されている章で,ぜひ読んでほしい.
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猫の大虐殺の序章の最後のページ
ルソーの例
感想として猫の大虐殺でやっているようなやりかたが哲学的な概念分析よりも力をもつであろうことを主張する
具体的にどの過去を対象にこれを実践するのか,これは恣意的になるがどの過去を選んでも本質的な価値は変わらないだろう.本書では18世紀のフランス人をターゲットにしている.
人々にはある世界観があり,それに従って現実を秩序立てて思考する.それは哲学者も一般人も変わらない.たしかに一般人が抽象命題を弄ぶことはないが,具体的な事物や,民話や儀式といった文化が提供するものを相手に彼らは思考するのだ.
そして人々の個人的な感情の分類や事物の解釈の仕方は,自身の属する文化が提供する枠内に制限されている.しかし彼らはその枠内にありながらも語義の境界線を様々にテストして入れ替えることができる.
このように本書では知識人と一般人を,ある文化の制限のもとで思考するもの,その制限内で概念を巧みに操作するものとして同列に扱う.この観点ではディドロやルソーが抱えた問題は,民話の語り手である農民や猫の虐殺に興じる職人の問題と同じなのだ.
とくにわかりやすい例として『知識の系統樹を刈り整える哲学者たち ―『百科全書』の認識論的戦略―』を見ていこう.
人々の個人的な感情の分類や事物の解釈の仕方は,自身の属する文化が提供する枠内に制限されている.