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読書について

更新: 2023年03月03日 09:04

読書について (光文社古典新訳文庫) | ショーペンハウアー, 鈴木 芳子 | 哲学・思想 | Kindleストア | Amazon

『思索』要旨

私達が完全に理解できるのは自分で考えたことだけだ.

本はいくら読んでも,それだけでは,他人の考えの寄せ集めに過ぎず,自らの血肉となって一つのまとまりを形成することはない.統一した思考体系がなければ明晰な洞察は決して生まれない.また,考えることなく本を読めば,適切なモチベーションもないのに書いてあることについてあれこれ考えさせられることになる.その結果,自らの衝動に基づいて考えるということができなくなる.

人類の進歩を促す人は世界という書物を直接読破した人である.

現実世界の具体的でリアルなものは,自分の頭で考えるきっかけを与えてくれる.そこでうまれた考えをみずから検証する.こうして自分の考えを世界で展開した,真に能力のある人物は,自分が何を考えているのか,何を表現したいのかがはっきりと分かっているため,その作品には決然たる明晰さがある.それは散文や詩・音楽でも同じだ.こうした明晰さが凡人と彼らを区別する特徴である.

たとえ自分が時間をかけて考えついたものが,ある本に完璧な形ですでに書かれていたとしても問題ではない.自分で考えついた真理や洞察は自らの思考体系全体と結びついているし,内なる思考の欲求が活発になった時に現れたものなので,しっかり根を下ろして二度と消えることはない.ゲーテが言うように,父祖の遺したものを完全に自分のものにするためには,自ら獲得するしかないのだ.

考えること自体が嫌になったときは,無理せず待つべきだ.思索の泉がどうしても湧き出てこない時は読書をしてもよいだろう.その時も自分の考えを検証するために本を読み,得た知識は自分の思想体系に同化させ,有機的に全体を関連付け,洞察の支配下におかなくてはならない.単なる知識の詰め合わせでは洞察・明晰な思考は生まれない.

『著述と文体について』要旨

伝えるに値することがあるから書くのではなく,紙をとにかく言葉で埋めて,報酬を得るために書く人の本はすぐに投げ捨てるべきだ.

みだりに本を出す人は色々な本から素材をとり,自分の頭で練り直すことなくそのまま写す.彼らの話はとりとめがないが,それは彼らが何も考えていないからである.

いちばん新しいものが,以前書かれたものを改良した最も進歩したものと考えることは誤っている.正しい判断の持ち主はごく少数で,世界のいたる所にいるクズは,例外的に優れた人物の十分に熟考した言説を理解しないまま,自己流に改悪してしまう.そうした悪しき新刊書が先人の素晴らしい本を駆逐することがよくある.彼らには自分と同質の陳腐で底浅いものしか理解できないのだ.

評論雑誌は本来,大量に出回る無用の悪書に対して公正かつ厳正な態度で判断をくだす防波堤になるべきだ.しかし現状は,著者と出版社のなれ合いから,書く力も資格もない者が金のために書いた冗文が読者の時間と金を奪っている.

本は著者の思想を印刷したものである.思想の価値は素材と表現形式で決まる.素材とは「何について考えたのか」であり,表現形式とは「どう考えたか」である.凡庸な人間でも,遠い異国の情緒やめずらしい自然現象など,その人にしか手に入らない素材を取り上げれば重要な本を書くことができる.これに対して,誰もが知っていて親しみのある素材なら,「どう考えたか」で価値が決まることになり,これは傑出した頭脳の持ち主だけが読むに値するものを書くことができる.なぜならその他大勢の人間は素材が同じなら誰もが思い浮かべるようなことしか書けないから.

しかしながら,一般読者は表現形式よりも素材の物珍しさに関心を向ける.文学の領域では作品の価値は表現形式で問うべきだが,素材によって劇場を満員にしようとする作家は,有名人であれば誰でも舞台の主人公にする.

著作の価値を評価するためには,素材を知る必要はなく,表現形式を知れば十分だ.この「どのように」考えるかは,文体として現れ,素材がなんであろうと,すなわち「何について」考えていようとも常に同じである.そして文体は作品の2,3ページを読めばおおよそ見当がつくので,その本が自分にとってどれだけプラスになるのかもすぐに判断ができる.

こうした事情をひそかに察して,凡庸な物書きは,ありのままの文体を偽装する.考えたことをそのまま書けばパッとしないものになるのが分かっているので,不自然でややこしい言い回しや複雑な構造の回りくどい文にして,実際よりもずっと多くの意味を含むように見せる.彼らが本当は何を言いたいのか,分かりにくいことがよくあるが,彼ら自身も自分が何を言いたいのか,きちんと分かっておらず混乱しているのだ.しかし彼らはそれを自分にも他人にも隠そうとする.

真の思想家は,思想をできるだけ純粋に,明快に表現する.シンプルであることは,真理の特徴であり天才の特徴でもある.

そうした優れた文体を得るための第一規則は「主張すべきものがあること」だ.頭に正しい思想が浮かべば,その人は明快さを求めて努力し,ふさわしい表現をたやすく見つけるだろう.人智の及ぶものは,常に明晰な言葉で表現できるものなのだから.

『読書』要旨

読書とは,自分で考えずに他人に考えてもらうことであるから,1日中たくさんの本を読んでいると,何も考えず暇つぶしにはなるが自分の頭で考える能力が失われていく.

今日の著書のほとんどは,凡庸な脳みその持ち主が,お金や官職目当てに書き散らした悪書である.しかし人々は,時代と国を超えた最良の書を読む代わりに,時勢に乗り遅れないようにと,常に最新刊を読もうとする.その結果広い世界を知ることがない.

人生は短く時間とエネルギーは限られているから,悪書を避け,重要な本を何度も考えながら読むべきだ.

作品は著者の精神から抽出されたエッセンスであり,著者本人とのおつきあいよりも,常に内容が豊かである.高い教養や見識が身につけば,書き手には興味を覚えず,作品だけに楽しみを見出すことになる.

感想

『幸福について』と共に,主著『意志と表象としての世界』の注釈として出版された『余録と補遺』からの一冊.

しかし,最も魅力的なのはショーペンハウアーが嫌悪するものを書くときの表現.例えば『著述と文体について』p.51

社会では,いたるところにうごめく頭の鈍い能無しに対して寛容でなければならないが,この寛容の精神を文筆の世界に持ち込むのは,あやまりだ.というのも文筆の世界において,かれらはあつかましい侵入者であり,悪をそしるのは,善に対する義務だからだ.何ひとつ悪とみなさない人間にとって,善もまた存在しないからだ.

もしくは『読書』p147

あらゆる時代,あらゆる国の,ありとあらゆる種類のもっとも高貴でたぐいまれなる精神から生まれた作品は読まずに,毎年無数に孵化するハエのような,毎日出版される凡人の駄作を,今日印刷された,できたてのホヤホヤだからというだけの理由で読む読者の愚かさと勘違いぶりは,信じがたい.むしろこうした駄本は,生まれたその日のうちにさげすまれ,打ち捨てられるべきだ.いずれにせよ数年後にはそのような扱いをうけ,過去の時代のたわごととして,永遠に物笑いの種になるだけだ.

論旨自体はまあそうだよね,という所も多いが,この本の真の価値は明晰さを失わないまま,このような魅力的な表現が次々と出てくるところにある.明晰さと表現の両立は偉大な書き手にしかできないことだ.

他にも『著述と文体について』で延々と続くドイツ人が書く文章への批判は笑ってしまう.ちなみにショーペンハウアー自身もドイツ人.しかし,どの批判にも論拠があって,単なる感情の表出には決してなっていない.

名文,星10点.

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