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自己実現的制度としての違法薬物

更新: 2023年03月03日 09:04

自己実現的な制度として違法薬物を解釈してみよう.自己実現的な制度とは何かについての議論は制度分析の項を参照.

違法薬物とは何か

まず違法薬物とはなんだろうか.それはヘロイン,コカイン,覚醒剤,大麻,LSD,MDMAなど,法律で所持・使用を禁止されている薬物である.

これらの薬物の薬理作用はかなり違うので,法律で禁止されているということが,酒やタバコからこれらを分ける最大の共通点になるだろう.つまり,違法薬物とそうでない薬物を分ける物理的な性質があるわけではない.

例えば,人体と社会に及ぼす害から見ると,どの調査であっても,ヘロインやコカイン,覚せい剤は一貫して酒やタバコと同レベルか,それより高いが,大麻やLSD,MDMAはそれほど高くない.

economistの記事より.
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ここで考えたいのは,仮にこの結果が真実だとすれば,危険性が低いものが,いかにして違法の座を保持できるのか,ということだ.だから,これらの調査結果が真なのかどうかは,今回の議論とはあまり関係ない.また,真実だから違法にする必要がないと主張するつもりもない.後述するように人々の認識の変化抜きの合法化は無意味で有害だ.

その回答は違法薬物という制度が自己実現であり,平衡に達しているため,合法化は外的状況に大きな変化がないかぎり不可能ということである.

このシステムを構成する要素としては

があげられる.制度を構成するこれら4つの説明についてもこちらの項を参照してほしい.

平衡から抜け出す条件

ここで認知モデルの変化なしに違法薬物を合法化をしたとしよう.

すると

この3点ゆえ,合法化された薬物による事件や事故は,タバコや酒が引き起こした場合に比べて選択的に放送されることになる.

つまり,ある違法薬物,例えば大麻の危険性が酒やタバコに比べて,仮に低いとしても,それは平均的な話であり,使用によって害が生じないことはない.それゆえ,合法化して使用人口が増えれば,依存症になったり,病気になったり,他人に害を与えたりする人は,現在の酒・タバコで生じているのと同様に,当然でてくるだろう.そして,人々は認知モデルを正当化したがっている.つまり,違法薬物はやっぱり危険だったのだ,と思いたがっている.そこにメディアが来れば,あとは彼らが戦略的に人々の欲望を満たすようなニュースを選ぶだけである.こうして,彼らの認知モデル=違法薬物は危険,は自己実現的となる.そう信じれば,それを確認するニュースをメディアは届けてくれる.

こうして認知モデルの変化なしに合法化をしてもそれは再び人々の反発を招いて違法化に至るだけである.

では,認知モデルのほうが変化することはあるのか,あるとしたらその条件は何か.

そもそも現状は,制度のすべての要素がこの認知モデルを再生産するために有効に働いている.人々は,違法薬物は危険だと思えば,そのような認識を育む教育を学校で受けさせてほしいと願うだろうし,警察やメディアは積極的な広報活動をして,この認知モデルを維持するだろう.もしくは,SNSで人々は自発的に,大麻を推進するちょっと変な人を揶揄する.こうして,違法薬物はやばいという認知モデルは平衡を維持される.

このサイクルを破壊するような変化があれば,合法化はありえるだろう.一つの可能性は,使用することがクールだとみなされること.大麻を例に説明すると,大麻否定の根本にあるのは大麻が危険だという判断よりも,大麻をやっているひとはおかしい・やばい・クールでない,という印象ではないか.それはフェミニズムに対する否定的感情は,フェミニズムが思想的に誤っているという判断よりも,フェミニストと自称・他称される人々がおかしい・クールでないという印象に起因することと同じである.

この印象の変化は,例えば海外で合法化が進んで,大麻業界のイメージアップ戦略が日本にも到達した場合に起こりうる.こうしたイメージ変化に伴って,大麻への否定感情が薄まれば,合法化する可能性はあるかもしれない.