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哲学入門3 哲学史

更新: 2023年03月03日 09:04

哲学史を学ぶ必要はあるのか?

哲学を学ぶ上で,哲学史,つまり,アリストテレスやヘーゲルやウィトゲンシュタインといった過去の偉大な哲学者が何を考えたのかを正確に把握する必要があるのだろうか.

例えば,話が科学であれば「必要ない」.学校で物理や化学を学ぶ時に,フロギストンがどうとか,エーテルがどうとか,そういう過去の概念や法則は一切学ばない.現在正しいと合意が得られているものだけを学べば十分で,過去の蓄積・進歩はそこにすべて含まれているとされる.

一方,哲学を学ぼうとすると事情は全く異なって,過去の哲学者はこう考えた,ということをかなりの比重でやることになるし,過去の哲学者が考えたことの解釈に一生をかける人も特に珍しくはない.

なぜこのような違いがあるのだろうか?哲学において過去の哲学を学ぶ有用性はあるのだろうか?

Hanno Sauer, "The End of History"を参考に,後者について考えてみよう.この論文の主張をまとめると次の段落の通り.

もしあなたが「知識とは何か.正義にかなった社会はどのように作り上げられるのか」といった特定の哲学の問題について、論証により真偽を考えたいのなら,歴史上の哲学者の著作を読むことは不要である。では古典を使わないとすれば,何を参考に問題に取り組むのか?これまでの知見を踏まえた最新の議論,例えばサーヴェイ論文はそのような議論をまとめたものである.しかし一方で,過去の独創的な哲学者のテクストを熟読することは、それ自体のうちに固有のおもしろさを含んだ知的営みである。

つまり,過去の哲学者が書いたものは特定の問題の解決のためには役に立たないけど,テクストとしてはめちゃおもろい.ということ.

もう少し詳しい議論(例えば「過去の議論を学ばないと同じ間違いをすることになるよね?」に対する反論など)はこのブログにまとめられているし,原文は無料で公開されているのでそちらを見てもいいと思う.

同じようなことが言語哲学大全1でも指摘されている.

指摘されなけれねばならないこととは,(日本における哲学教育の現状がどうであるかは別として),哲学のある分野においては,哲学を学ぶことがその過去を学ぶことであったとしても,そのときに学ばれねばならないことは,ごく近い過去に限られる,ということである.つまり,ある分野においては,既に研究の焦点が絞られているために,二,三十年より前の文献に当たる必要がないということすら起こりうるのである.(言語哲学大全1p.10より)

彼らの主張は正しいのか,は置いておくとして,少なくとも哲学といえば,過去の哲学者を学ぶことだというイメージがあればそれは誤解だと思う.哲学の本質は正しい知を得るための議論にあるのだから.

そのほか過去の哲学者の原著や解説書を読む時に注意すべきこととしては

・偉大な人がこうこう言っていた,ということを鵜呑みにして,ありがたい言葉を頂戴するというふうに読んではいけない.むしろ彼らの議論の誤りを見つけてそれを指摘するつもりで読む.

・そのためには彼らの論理の道筋を理解しなければならない.もし,それがわからないような本は,書いた人が悪いかレベルが合っていないかなので読むのをやめる.絶対にやってはいけないのは,「何となく分かったかなあ,,?感じるものがあったぞ」で読み終えること.それをやりたいなら読むべきは哲学書ではない.

・哲学書の難しさは論理の道筋の難しさであって,馴染みのない語彙やこねくり回された文表現の難解さによるわけではない.もし後者の理由で難しさを感じる本があれば,今すぐ投げ捨てよう.よく書かれた哲学書を読む時の難しさは数学の本で論理を追う時に似ているはず.

さて,特定の問題解決のために過去の哲学書を読むことは効果的ではないかもしれないが,すでに指摘されたとおり,テクストを読むこと自体に喜びがある歴史的な哲学書が存在する.ここでは,そのようなもののうち,読むのに特別な前提知識を必要しないものを紹介しよう.

ちなみに歴史的でない哲学書に興味があれば,一番下の『おすすめの哲学の本』を参照してほしい.

また,古典の名作ゆえ,以下の作品は色々な出版社から翻訳されているが,光文社古典新訳文庫が読みやすく,解説もよいと思う.

ソクラテスの弁明・クリトン

1冊だけ読むとすれば圧倒的にこれ.文体は明晰さと芸術性が奇跡的なまでに両立している.論理は明快に追えるから,ソクラテスの主張のどれが説得的で,どれは詭弁に近いのかを考えながら批判的に読んでいく.そして徐々に示されていくその生き様をみると,ソクラテスという熱く貫徹した男を好きにならずにはいられない.

無知の知でしょ,オッケーだけではもったいない.自分が知らないことに気づく,ということは,あらゆることを明確に認識・思考しようとすることの帰結であって,ソクラテスがしていたことは本質的にこちらだろうと思う.

饗宴

などプラトンの著作を一つだけ読むとすればこれをオススメする.詳細は別のページで書いたので参照してほしい.

読書について・幸福について

ショーペンハウアーの代表作『意志と表象としての世界』の注釈として出版された『付録と補遺』からの2冊.

どちらの本も時代普遍的で,全く新しい視点というわけではないが,とても良くまとまっているし,表現もおもしろいので,初学者にもある程度書いてあることについて考えたことのある人でも楽しみながら読める本.これを書いたのは30年後の俺か?と思ってしまうほど,個人的には大好きな2冊.

別のページに詳しいまとめを書いてあるのでそちらを見てほしい.『読書について』『幸福について

この他,『方法序説』も読みやすいこれを読むと,デカルトがいかにまともな人間だったのかわかる.もっと正確にはデカルトが現代的な良識と理性をもっていたことが分かる.wikiによいまとめがあるのでそちらを見るとよい.5章は読まなくていい.が,上記のものにくらべると純粋な面白さは劣ると思う.

哲学史を読むなら

入門の入門としては『史上最強の哲学入門』は東洋版も含めて面白くかけていると思う.もちろん論理の飛躍例えばプラトンの項で,「プラトンにとって哲学者とは,イデアを追求する人間のこと.そこから彼は国家のあるべき姿について「イデアを知る優秀な哲学者が王になるべきである,もしくは王が哲学を学ぶべきである」と結論づけた.」とあるが,「そこから」がどんな論理展開なのか,これだけでは「そこから」と言われても,全然前提から結論は導けない.だから,この本は哲学書,哲学史書と言うよりは,歴代の哲学者の結論を集めましたという本であると解釈したほうがいいと思う.そういう本が本格的な哲学に導くという意味で価値がある.や,この人の思想のこの部分だけを切り取るの?という批判は可能だけれども,これらの思想家について全く予備知識のない人にとってサクサク読めて,大切なところは大きく外さないまま面白いのは間違いないだろう.逆にある程度知っている人なら読む必要はないし,読んでもそんなに面白くない.

『西洋哲学史要(波多野 精一)(玉川出版部 1977)』は,ヘーゲル辺りまでしか扱っていないという制限があるものの,無駄なことを一切書かずに,しかし思想の本質を論理的に,しかも哲学史という流れに沿って,しかも批判的に何が間違っているかについても述べていく.つまり,抜群に面白い.しかし,旧字体で書かれているのが玉に瑕.玉川出版部のものしか持っていないが,この版では,ある程度ふりがなが振られているので,あとは文脈から推測して読んでいく内に,段々と旧字体が読めるようになっていく神仕様なので,そんなに困らない.むしろ,これを読んでいくと段々と旧字体や文の簡潔さが魅力的に見えてくる.これについてはこのブログにも詳しい.とくに福田恆存の『私の國語教室』の,歴史的仮名遣ひの例外となる言葉を語の成り立ちから説明してゐるところはとても面白いし,なぜ歴史的仮名遣ひをすべきなのか,の主張も一理はあるように思う.

この『西洋哲学史要』は著作権が切れているようなので,いつか本文と要旨をまとめたものをアリストテレスくらいまで(全体の1/4くらいまで)は載せたいと思う.

おすすめの哲学の本

他のところでも紹介されているものを含めてまとめておく.事前知識を必要としないもの,読みやすいもの順で載せていく.後ろほど難易度が高いもの.